[技術解説]
BluetoothワンチップBM62で作る
低雑音ワイヤレス・オーディオ
[Vol.2 ディジタル雑音の発生メカニズムと対策]
技適OK&20ビットDAC/DSP/AAC搭載!鍵はグラウンドの低インピーダンス化
- 著者・講師:別府 伸耕/Nobuyasu Beppu (リニア・テック)
- 企画編集・主催: ZEPエンジニアリング株式会社
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【Index】
低雑音BluetoothオーディオDIPモジュール MZBM62-B01
なかなか取れないディジ・アナ混載チップのノイズ音
“MZBM62-B01”(写真1)は,Bluetoothオーディオ・チップ“BM62”(BM62SPKS1MC2)を搭載した$2.54\mathrm{mm}$ピッチのDIPモジュールです.BM62チップは,無線通信用の回路とオーディオ・コーデックを集積したディジ・アナ混載チップ SoC“IS2062”を内蔵しています.
このSoCの消費電流は,Bluetoothリンク時におよそ15mAです(ヘッドホンを駆動していない場合).電源に流れ込む電流は一定ではなく,図1のように時々刻々と変動しています.BM62チップの場合,この変動の周波数が人間の可聴域(数$\mathrm{kHz}$)にあたるため,安易に実装すると,「ピー」というディジタル・ノイズがヘッドホンから聞こえてきます.
ここではどのような条件のときにノイズが聞こえるのかを実験で確認し,発生したノイズを取り除く方法について検討します.
写真1 Bluetoothオーディオ・チップ“BM62”の評価用$2.54\mathrm{mm}$ピッチDIPモジュール “MZBM62-B01”(開発:リニア・テック,企画:ZEPエンジニアリング) |
シングルエンド・モードでヘッドホンをつなぐと,「ピー」というノイズ音が聞こえてくる |
実験でノイズの発生メカニズムを明らかにする
実験の準備
図2に示す回路を作り,ノイズの発生メカニズムを実験で明らかにしていきます.
これはBM62チップを使用するための最小構成でもあります.回路は,ユニバーサル基板上に作り,グラウンド経路は$\phi 0.6 \mathrm{mm}$のスズメッキ線で配線しました.
ヘッドホン負荷に対する接続方式は,「キャップレス・モード」と「シングルエンド・モード」の両方を試します.そのため,図2にはヘッドホンとの接続に関する具体的な配線を明記していません.
BM62チップには2つのグラウンド端子(23ピンと37ピン)があります.今回の実験では,それぞれのグラウンド端子と回路側のグラウンドとの接続条件を変更してノイズ発生のようすを観察します.そのため,これらのグラウンドの具体的な配線についても図2では明記していません.試聴には,音圧感度が“$100\mathrm{dB/mW}$”のヘッドホンを使用しました.
定石どおりグラウンドの配線インピーダンスの影響を探る
“MZBM62-B01(写真1)”は,グラウンド経路のインピーダンスを小さくするために基板上のグラウンドをベタ・パターンにしています.さらに,BM62チップのグラウンド端子である23ピンと37ピンは,基板上でベタ・パターンを介して電気的に接続しています.今回の実験では,これら23ピンと37ピンに関わる基板上の配線を加工し,それぞれの配線経路を電気的に独立させて行います.
また,“MZBM62-B01”の基板では,37ピンに近いほうのグラウンド経路のピン・ヘッダを5ピン分使用しています.そのため,厳密には23ピン側と37ピン側で配線のインピーダンスが異なります.今回の実験では,条件を合わせるために,37ピン側の配線を加工して「ピン・ヘッダ 1ピン分」に相当する配線抵抗としています(実際の製品よりもグラウンド経路のインピーダンスは大きい).
グラウンドの接続法とノイズ発生の有無
実験
ノイズが発生する接続
図3のように「シングルエンド・モード方式」で,ヘッドホンとBM62チップを接続したところ,「ピー」というノイズが確認されました.このとき再生機器側では音楽を再生した状態にして,音量を最小(無音)まで小さくしています.
なお,図3ではRチャネル側の回路だけを示していますが,実際はRチャネルとLチャネルの両方を使って実験しています.
ノイズが発生しない接続
BM62チップとヘッドホンを図4のように接続したところ,ノイズは確認されませんでした.図4の(a),(b),(c)は「キャップレス・モード」でBM62とヘッドホンを接続しています.これに対して,図4の(d),(e)は「シングルエンド・モード」で接続しています.
先に図3で示した実験結果では,「シングルエンド・モード」の接続方式でノイズが出ていました.
図3と,図4の(d),(e)の間にある差異について考えることで,ノイズ対策のヒントが得られそうです.
チップ内外と基板内外のグラウンド配線をモデリング
ノイズ発生にかかわる各インピーダンスを整理する
図3と図4の(d),(e)の間でノイズの挙動に差があることから,グラウンド経路の配線がノイズに対して何らかの影響を及ぼしていると考えらえます.そこで,DIPモジュールのグラウンド経路を図5のようにモデル化して考えることにします.
なお,図5の(a),(b),(c),(d)はヘッドホンのコモン端子を接続する位置だけを変えたものであり,モジュールおよび基板側の回路モデルはすべて同じです.
また,本来はグラウンド経路に存在する「抵抗成分」および「インダクタ成分」をまとめて「グラウンド配線のインピーダンス」として扱うべきです.しかし,今回はオーディオ帯域の低周波信号だけを扱うということで,インピーダンスは「抵抗」が支配的であるとします.
基板の回路表現
図5の回路モデルでは,考察しやすくするためにグラウンド配線のインピーダンスをいくつかのブロックに分けています.
BM62チップ内部
まず,BM62チップの内部にあるグラウンド経路のインピーダンスを「内部抵抗」と表記しています.これはBM62のシールド・ケースの内部にある配線抵抗なので,ユーザは手を加えることができません.なお,BM62チップの内部では23ピンと37ピンが接続されています.
DIPモジュール基板
次に,DIPモジュール“MZBM62-B01”の基板の部分です.この基板上には,グラウンド経路のパターンの配線抵抗とピン・ヘッダの抵抗が存在します.図5では,これらをまとめて「配線抵抗」“$R_{\mathrm{G1}}$”と表記しています.DIPモジュールではグラウンドをベタにしたりピン・ヘッダのピン数を増やしたりして“$R_{\mathrm{G1}}$”を低減していますが,ある程度の抵抗は残存すると考えられます.
DIPモジュール外の配線
最後に,DIPモジュールの外部でグラウンドの配線を引き回す部分です.今回はユニバーサル基板を使って実験用の回路を組んでいるので,ユニバーサル基板上のグラウンド配線がこれに該当します.図5では,この部分のインピーダンスを“$R_{\mathrm{G2}}$”と表記しています.
考察
接続⑦と⑧はなぜノイズが出ないのか[図5(a)]
図5(a)は,図4の(d)および(e)のグラウンド配線の回路表現です.このとき,ヘッドホンからノイズは聞こえません.
BM62チップが“SPKR”端子から出力する音声信号の電圧を“$v_{\mathrm{OUT}}$”とします.“$v_{\mathrm{OUT}}$”は,「BM62チップのグラウンド端子」(23ピンおよび37ピン)に対する“SPKR”端子の電位です.
BM62チップの電源電流(電源端子から流入し,回路を通り抜けて,グラウンド端子から流れ出る電流)には,先に触れたとおり可聴域のノイズが含まれています.このノイズ電流を“$i_{\mathrm{N}}$”とします.このノイズ電流がグラウンド経路の抵抗“$R_{\mathrm{G1}}$”および“$R_{\mathrm{G2}}$”に流れると,ノイズ電圧“$v_{\mathrm{N1}}$”および“$v_{\mathrm{N2}}$”が生じます.その結果として,BM62チップ全体の電位がノイズによって揺れることになります.このとき,「回路全体のグラウンド」(図5の点G)から見た“SPKR”端子の電位“$v_{\mathrm{SPKR}}$”は次式で表されます.
\begin{equation} v_{\mathrm{SPKR}}=v_{\mathrm{OUT}}+v_{\mathrm{N1}}+v_{\mathrm{N2}} \end{equation}BM62チップの23ピンと37ピンは内部で接続されているので,等電位になっています.よって,「回路全体のグラウンド」から見た37ピンの電位“$v_{\mathrm{37}}$”は次式で表されます.
\begin{equation} v_{\mathrm{37}}=v_{\mathrm{N1}}+v_{\mathrm{N2}} \end{equation}図5(a)では,ヘッドホンを“SPKR”端子と37ピンに接続しています.よって,ヘッドホンの両端に印加される電圧“$v_{\mathrm{PHONE}}$”は次式で表されます.
\begin{eqnarray} v_{\mathrm{PHONE}}&=&v_{\mathrm{SPKR}}-v_{\mathrm{37}}\\ &=&v_{\mathrm{OUT}} \end{eqnarray}上式より,図5(a)の状況でヘッドホンから出力される音声はノイズの影響を受けません.本来の音声出力“$v_{\mathrm{OUT}}$”だけを取り出すことができます.このことから,図5(a)ではノイズが確認されなかったのだと考えられます.
接続①,②,③はなぜノイズが出るのか[図5(b)]
図5(b)は,図3(a)~(c)のグラウンド配線の回路表現です.このとき,ヘッドホンからは「ピー」というノイズが聞こえます.
図5(b)ではヘッドホンを“SPKR”端子と「回路全体のグラウンド」(図5の点G)に接続しています.よって,ヘッドホンの両端に印加される電圧“$v_{\mathrm{PHONE}}$”は次式で表されます.
\begin{eqnarray} v_{\mathrm{PHONE}}&=&v_{\mathrm{SPKR}}\\ &=&v_{\mathrm{OUT}}+v_{\mathrm{N1}}+v_{\mathrm{N2}} \end{eqnarray}式(5)(6)より,図5(b)の場合はヘッドホンに対してノイズ電圧“$v_{\mathrm{N1}}$”および“$v_{\mathrm{N2}}$”が印加されることになります.このことから,図3の実験ではノイズが確認されたのだと考えられます.
DIPモジュールのグラウンドの影響[図5(c)] 図5(c)の実験は,DIPモジュールのグラウンド経路(プリント基板のパターンとピン・ヘッダ)の影響を確認するために行いました.
図5(c)では,図5(b)よりもノイズが小さいことが確認されました.
図5(c)では,ヘッドホンを“SPKR”端子と「“MZBM62-B01”基板のグラウンドのピン・ヘッダの直下」(図5の点A)に接続しています.点Aの電位は,グラウンド経路の抵抗“$R_{\mathrm{G2}}$”の影響で揺れています.「回路全体のグラウンド」(点G)から見た点Aの電位“$v_A$”は次式で表されます.
\begin{equation} v_{\mathrm{A}}=v_{\mathrm{N2}} \end{equation}このとき,ヘッドホンの両端に印加される電圧“$v_{\mathrm{PHONE}}$”は次式で表されます.
\begin{eqnarray} v_{\mathrm{PHONE}}&=&v_{\mathrm{SPKR}}-v_{\mathrm{A}}\\ &=&v_{\mathrm{OUT}}+v_{\mathrm{N1}} \end{eqnarray}上式より,図5(c)の状況でも何らかのノイズが確認されるものと考えられます.
ユニバーサル基板とDIPモジュールのグラウンド配線の影響を排除[図5(d)]
図5(d)は,グラウンド経路のインピーダンスをできる限り小さくした場合のノイズを確認するための実験です.このとき,ヘッドホンからはノイズが聞こえませんでした.これが,BM62チップの本来の実力ということになります.
図5(d)において,23ピンの電位はノイズ電流によって揺れています.「回路全体のグラウンド」(点G)から見た23ピンの電位を“$v_{\mathrm{23}}$”とすると,これは次式で表されます.
\begin{equation} v_{\mathrm{23}}=v_{\mathrm{N1}}+v_{\mathrm{N2}} \end{equation}図5(d)ではヘッドホンを“SPKR”端子と23ピンに接続しているので,ヘッドホンの両端に印加される電圧“$v_{\mathrm{PHONE}}$”は次式で表されます.
\begin{eqnarray} v_{\mathrm{PHONE}}&=&v_{\mathrm{SPKR}}-v_{\mathrm{23}}\\ &=&v_{\mathrm{OUT}} \end{eqnarray}上式より,図5(d)の状況ではヘッドホンから本来の音声信号“$v_{\mathrm{OUT}}$”だけが聞こえてきます.そのため,ノイズが確認されなかったのだと考えられます.
仮想グラウンド端子“AOHPM”から出るノイズ
ヘッドホンを「キャップレス・モード」で接続するときに使用する“AOHPM”端子の挙動を調べるために,図6のような実験を行いました.
ヘッドホンをDCカット用のキャパシタを介して“AOHPM”端子に接続します.この状態でBM62チップを動作させると,ノイズが聞こえました.よって,グラウンド経路のインピーダンスの影響で「回路全体のグラウンド」から見たBM62チップ全体の電位が揺らいでいることがわかります.
対策
実験回路をモデリングする
全体をテブナンの等価回路で表す
何らかの電圧信号を出力する回路は,どのような回路であっても「理想電圧源」と「出力抵抗」(出力インピーダンス)の組み合わせで表現することができます.これを「テブナン等価回路」といいます.
ここまでの内容より,BM62チップと実験回路全体を含めたテブナン等価回路は図7のように表現できます.“SPKR”端子と“AOHPM”端子の間には,本来の音声信号である電圧“$v_{\mathrm{OUT}}$”が生じています.また,“AOHPM”端子からはモジュールのグラウンド端子に対して一定のDCオフセット“$V_{\mathrm{Offset}}$”が出力されています.
BM62チップの電源電流“$i_{\mathrm{N}}$”には変動成分が含まれ,それがグラウンド経路のインピーダンス“$R_{\mathrm{G}}$”に印加されことによってノイズ電圧“$v_{\mathrm{N}}$”が発生します.このとき,回路全体のグラウンドから見ると,BM62チップ全体が“$v_{\mathrm{N}}$”で揺れているように見えます.
等価回路の妥当性の確認
「キャップレス・モード」を使う場合は,ヘッドホンを“SPKR”端子と“AOHPM”端子に接続します.図7からもわかるとおり,“SPKR”端子と“AOHPM”端子の間には本来の音声信号“$v_{\mathrm{OUT}}$”だけが存在します.「回路全体のグラウンド」から見ると“SPKR”端子と“AOHPM”端子の電位は“$v_{\mathrm{N}}$”の影響で揺れていますが,両方の端子とも同じ波形で揺れている(コモン・モード・ノイズ)のでノイズの影響は相殺されます.
以上のことから,「キャップレス・モード」でヘッドホンを接続した場合はノイズが聞こえないものと考えられます.実際に図4の(a),(b),(c)ではノイズが確認されなかったことから,図7のモデルは妥当であると判断できます.
ノイズを減らす3ステップ
考え方
ここまでの実験より,ヘッドホンから聞こえる「ピー」というノイズの原因は,次の2つであることがわかりました.
- 電源電流に含まれるノイズ電流
- グラウンド経路のインピーダンス
ノイズを低減するための施策は「ノイズを出さない」,「ノイズを伝えない」,「ノイズを受けない」の3段階に分けて考えることができます.
- ノイズを出さない:BM62チップの電源電流の変動を小さくする
- ノイズを伝えない:グラウンドのインピーダンスを小さくする
- ノイズを受けない:「キャップレス・モード」を使う.差動で音声信号を取り出す.音圧感度が小さいヘッドホンを使う
ノイズを出さない
BM62チップの電源電流の変動さえなくしてしまえば,ノイズの問題を根本から解決できます.しかし,これはモジュールの内部動作に関わることなので,私たちユーザにできることはほとんどありません.
容量が大きめのパスコン(バイパス・コンデンサ)を実装すれば,電源電流の変動を少し抑えられるかもしれません.ただし,パスコンの本質的な役割は「電源ラインのインピーダンスを小さくする」ということなので,広い意味では次の「ノイズを伝えない」の対策に含まれます.
ノイズを伝えない
BM62チップの電源電流の変化がヘッドホンに伝わるのは,「電源電流の変動がグラウンドのインピーダンスによって電圧の揺れに変換されるから」です.よって,これまで考えてきたとおり「グラウンドのインピーダンスを小さくする」ことによってノイズの伝播を防げます.
仮にBM62チップの電源電流が大きく変動していたとしても,グラウンド経路のインピーダンスが“$0$”ならば,発生する電圧は“$0×i_{\mathrm{N}}=0$”です.これならば周りの回路にまったく迷惑をかけません.現実には抵抗値を“$0$”にすることはできませんが,グラウンド経路のインピーダンスを小さくすることはノイズ対策として大きな効果があります.
今回はユニバーサル基板上でグラウンド配線のためにスズメッキ線を使いましたが,銅箔テープなどを使ってベタ・グラウンドを作ると大幅にノイズが改善します.また,ベタ・グラウンドのパターンをもつプリント基板を作ってもよいでしょう.“MZBM62-B01”も,このような方針にもとづいて設計されています.
ノイズを受けない
今回は,ノイズを確認するために音圧感度が“$100\mathrm{dB/mW}$”という高感度のヘッドホンを使用しました.
これを“$90\mathrm{dB/mW}$”程度のヘッドホンに変えると,ノイズ成分を含む電源電流の大きさは一定で変わりませんから,同じ音量で再生する場合は,相対的にノイズの影響が小さくなります.また,一般的なスピーカの音圧感度はヘッドホンよりも小さいので,ノイズの影響はさらに小さくなります.
BM62の出力を次段に伝えるときの留意点
BM62のグラウンド電位がノイズで揺れる前提で信号を伝えていく
「キャップレス・モード」のように“SPKR”端子と“AOHPM”端子の間の電圧を差動アンプで取り出せば,BM62チップ自体の電位が揺れていてもコモン・モード・ノイズの影響を受けずに済みます.やや対処療法的ですが,「差動回路を使うことでノイズ耐性を向上させる」という考え方は一般的です.
対策① 差動アンプでコモン・モード・ノイズをキャンセルする
BM62チップ全体の電位がノイズによって揺らいでいる場合は,“SPKR”端子と“AOHPM”端子に「コモン・モード・ノイズ」がのっています.
このとき,差動アンプを使って“SPKR”端子と“AOHPM”端子の差動出力を取り出せば,コモン・モード・ノイズはキャンセルされます[図8(a)].実際に“SPKR”と“AOHPM”の間にヘッドホンを接続した場合(キャップレス・モード)はノイズが確認されなかったので,この方法はある程度の効果があると期待できます.
差動アンプ以外に,トランスを使う[図8(b)]方法も考えられますが,次のようなデメリットがあります.
- 低周波信号を扱うトランスは体積が大きくなる
- 重量が大きくなる
- トランス自体に周波数特性がある
- 単価が高い
図8 BM62の出力を次段に伝える方法 |
GNDからSPKR端子とAOHPM端子の電位を見るとどちらも$v_{\mathrm{N}}$で変動している.AOHPM端子からSPKR端子を見ると$v_{\mathrm{N}}$の変動は見えないので,ヘッドホンからはノイズは聴こえない |
対策② 差動アンプとBM62が共有するグラウンド配線を極力短く
差動アンプを使った回路でも,グラウンド経路の配線には注意が必要です.
図9のように,BM62チップと差動アンプのグラウンドを接続してから長く引き回すこともあるでしょう.BM62の電源電流にはノイズ成分が含まれているので,「回路全体のグラウンド」から見るとBM62および差動アンプの全体の電位が揺れているように見えます.この状態で「回路全体のグラウンド」と差動アンプの出力端子との間の電圧を見ると,ノイズが含まれた信号が現れてしまいます.
図9の“$R_{\mathrm{G}}$”のように,複数の回路のグラウンド経路に共通して存在するインピーダンスのことを「共通インピーダンス」といいます.複数の回路を多段接続する場合は,共通インピーダンスを小さくしないとノイズが大きくなったり,最悪の場合は発振してしまったりします.
「グラウンドのインピーダンスを小さくする」というのは,プリント基板を設計するうえでの鉄則です.これは,差動アンプの有無にかかわらず常に意識すべきことです.「回路全体のグラウンドをベタにしてインピーダンスを最小化する」という設計方針が基本となります.
1点で接続すればインピーダンスの共有をなくせる
図10のように,経路を独立して引き回し,電源の直前で1つに束ねるという方法もあります.このような配線を「1点グラウンド」(1点アース),英語では「スター・グラウンド」(star ground)といいます.
回路の状況に応じて,ベタ・グラウンドと1点アースを組み合わせるような設計をする場合もあります.いずれにしても,本質は「グラウンドにノイズ電流が流れて電位が揺れたときに,いかにして被害を避けるか」という点にあります.
コラムA 差動アンプのふるまいと設計
入力信号の差動成分を増幅し,同相成分を増幅しない
図11に示すのは,OPアンプを使った差動アンプです.以下,OPアンプが十分に理想的な動作をするものと仮定して動作を解析します.
OPアンプの入力インピーダンスが十分に大きいと仮定すると,電流“i+”の経路について次式が成り立ちます.
\begin{equation} v_{\mathrm{in+}}=\left( R_{\mathrm{1}}+R_{\mathrm{2}} \right) i_{\mathrm{+}} \end{equation}上式より,“$v_{\mathrm{+}}$”は次のように表現できます.
\begin{eqnarray} v_{\mathrm{+}}&=&R_{\mathrm{2}} i_{\mathrm{+}}\\ &=&\frac {R_2}{R_1+R_2} v_{\mathrm{in+}} \end{eqnarray}また,電流“$i_{\mathrm{-}}$”の経路について次式が成り立ちます.
\begin{equation} v_{\mathrm{in-}}-v_{\mathrm{o}}=\left( R_3+R_4 \right) i_{\mathrm{-}} \end{equation}上式より,“$v_{\mathrm{-}}$”は次のように表現できます.
\begin{eqnarray} v_-&=&v_{\mathrm{o}}+R_4 i_-\\ &=&v_o+R_4 \frac{v_{\mathrm{in-}}-v_{\mathrm{o}}} {R_3+R_4}\\ &=&\frac{R_4}{R_3+R_4} v_{\mathrm{in-}} + \frac{R_3}{R_3+R_4} v_{\mathrm{o}} \end{eqnarray}OPアンプのゲインを“$A$”とすると,出力“$v_{\mathrm{o}}$”は次式で表せます.
\begin{equation} v_{\mathrm{o}}=A(v_+-v_-) \end{equation}上式に式(14)(15)および式(17)(18)(19)を代入すると,次式が得られます.
\begin{eqnarray} v_{\mathrm{o}}&=&A \left( \frac{R_2}{R_1+R_2} v_{\mathrm{in+}} - \frac{R_4}{R_3+R_4} v_{\mathrm{in-}} - \frac {R_3}{R_3+R_4} v_{\mathrm{o}} \right)\\ &=& \frac {A R_2}{R_1+R_2} v_{\mathrm{in+}} - \frac{AR_4}{R_3+R_4} v_{\mathrm{in+}} - \frac{A R_3}{R_3+R_4} v_{\mathrm{in-}} \end{eqnarray}上式を変形すると,次のようになります.
\begin{equation} \left( \frac{1}{A} +\frac{R_3}{R_3+R_4} \right) = \frac{R_2}{R_1+R_2} v_{\mathrm{in+}} - \frac{R_4}{R_3+R_4} v_{\mathrm{in-}} \end{equation}OPアンプのゲインが十分に大きいと仮定して,“$A$→∞”の極限をとります.
\begin{equation} \frac{R_3}{R_3+R_4} v_{o} = \frac{R_2}{R_1+R_2} v_{\mathrm{in+}} - \frac{R_4}{R_3+R_4} v_{\mathrm{in-}} \end{equation}上式を出力電圧“$v_{\mathrm{o}}$”について整理すると,次式が得られます.
\begin{eqnarray} v_{\mathrm{o}}&=& \frac{R_3+R_4}{R_3} \left( \frac{R_2}{R_1+R_2} v_{\mathrm{in+}} - \frac{R_4}{R_3+R_4} v_{\mathrm{in-}} \right) \\ &=& \frac {R_2(R_3+R_4)} {R_3(R_1+R_2)} v_{\mathrm{in+}} - \frac{R_4}{R_3} v_{\mathrm{in-}} \end{eqnarray}一般的に,この差動アンプを使う場合は“$R_{\mathrm{1}}$=$R_{\mathrm{3}}$”,“$R_{\mathrm{2}}$=$R_{\mathrm{4}}$”とします.このとき,出力電圧“$v_{\mathrm{o}}$”は次のように表せます.
\begin{equation} v_{\mathrm{o}}=\frac {R_2}{R_1} (v_{\mathrm{in+}} - v_{\mathrm{in-}}) \end{equation}実際の回路と使い方
図12に示すのは,BM62チップと差動アンプを組み合わせた例です.低雑音の入出力フルスイングOPアンプ“NJM2737”(2回路入り,100円程度)を利用してゲイン1倍の差動アンプを構成しました.
入力インピーダンスが小さすぎるとひずみが大きくなり,大きすぎるとノイズ面で不利になるので,適当な値として10kΩの抵抗を選びました.
今回使用したOPアンプは単電源品なので,OPアンプの動作点を調整するために“SPKR”端子を差動アンプに対してDC的に接続しています.これに対して“AOHPM”端子からは交流成分だけを取り出せばよいので,DCカット用のキャパシタを通して差動アンプに接続しています.
この回路の出力は高インピーダンスなので,直接ヘッドホンやスピーカに接続することはできません.負荷を駆動するためには,別途オーディオ・アンプが必要となります.また,繰り返しになりますがグラウンドのインピーダンスが十分に小さくなるように注意してください.グラウンドのインピーダンスが大きくなってしまうと,せっかく差動アンプを使った意味がなくなってしまいます.
コラムB ノイズの音量を定量的に考える
音圧レベル
実際に耳に聞こえるノイズの大きさを定量的に見積もる方法について考えます.なお,これ以降の計算では音圧感度が“$100\mathrm{dB/mW}$”のヘッドホンを使うとします.また,ヘッドホンのインピーダンスは“$16\mathrm{Ω}$”とします.
音圧感度が“$100\mathrm{dB/mW}$”ということは,ヘッドホンに対して“$1\mathrm{mW}$”の電力を印加したときに“$100\mathrm{dB}$”の音圧レベルが得られます.音圧レベルの基準($0\mathrm{dB}$)は,およそ「人間が聞き取れる最小の音量」とされています.
人間の聴覚は対数的なので,音圧レベルは$\mathrm{dB}$(デシベル)で表示されています.dB表示なので,「音圧レベルが10dB増えるごとに,エネルギは$10$倍になる」ということになります.“$100\mathrm{dB}$”の音圧レベルというのは人間が聞き取れる最小の音の「$1010$倍」,すなわち「$100$億倍」のエネルギをもちます.$100\mathrm{dB}$の音圧レベルは電車が通るときの騒音程度の大きさで,実際にヘッドホンで$100\mathrm{dB}$の音圧を出力すると耳が痛くなります(危険なので試さないでください).
入力電力と音圧レベルの関係
電圧振幅が“$V_m$”の正弦波が$16\mathrm{Ω}$のヘッドホンに印加されたときに消費される電力“$P[\mathrm{W}]$”は,次式で表されます.ただし,次式では波形が「正弦波」であるときの「実効電力」を考えています.
\begin{equation} P=\frac{1}{2} \frac {V_m^2}{16} \end{equation}いま考えているヘッドホンの音圧感度は“$100\mathrm{dB/mW}$”なので,“$P[\mathrm{W}]$”の電力を印加したときに得られる音圧レベル“$L_{p}[\mathrm{dB}]$”は次式で表せます.
\begin{equation} L_P=100+10\log_{10}{ \left( \frac {P[W] } {1[mW] } \right)} \end{equation}式(29)に“$P=1\mathrm{mW}$”を代入すると,たしかに“$L_p=100\mathrm{dB}$”となることが確認できます.この式を使いやすくするために,次のように変形しておきます.
\begin{eqnarray} L_P&=&100+10\log_{10}{ \left( \frac {P[W] } {0.001[W] } \right)}\\ &=&100+10\log_{10}{(P[W])}-10\log_{10}{(10^{-3})}\\ &=&100+10\log_{10}{(P[W])}+30\\ &=&130+10\log_{10}{(P[W])} \end{eqnarray}式(28)と式(30)(31)(32)(33)を組み合わせると,電圧振幅が“$V_m[\mathrm{V}]$”の正弦波を印加したときに得られる音圧レベル“$L_{p}[\mathrm{dB}]$”を表す式が得られます.
\begin{equation} L_P=130+10\log_{10} \left( \frac {1}{2} \frac{V_m^2}{16} \right) \end{equation}式(34)を利用してヘッドホンに印加する電圧と得られる音圧レベルの関係を計算すると,表1のようになります.ただし,「うるさい」や「普通」といった音量の表記はあくまで1つの目安だと考えてください.
グラウンドの抵抗値の目安
ヘッドホンから聞こえる音圧レベルを「ほとんど聞こえない」“$20\mathrm{dB}$”することを目標にします.このとき,ノイズ電圧の振幅として許容されるのは“$0.02\mathrm{mV}$”すなわち“$20\mathrm{μV}$”以下となります.
ここでは,グラウンドに流れるノイズ電流の変動量を“$1\mathrm{mA}$”と仮定します.このとき,グラウンドの抵抗値は“$20\mathrm{μV}÷1\mathrm{mA}=0.02\mathrm{Ω}$”すなわち“$20\mathrm{mΩ}$”以下にする必要があります.これは,かなりシビアな基板設計が求められます.
プリント基板において,標準的な銅箔の厚みは$35\mathrm{\mu m}(1\mathrm{oz})$です.この銅箔の厚みで幅$1\mathrm{mm}$のプリント・パターンを長さ$10\mathrm{cm}$だけ引きまわすと,抵抗値は“$ 48\mathrm{mΩ}$”になります.これでは基準をクリアできません.なお,$1\mathrm{kHz}$における銅の表皮厚さは約$2\mathrm{mm}$なので,表皮効果は無視しています.
パターンの幅を数倍にしたところで,ノイズに対する効果はたかが知れています.やはり,今回のようにノイズ性の電源電流が流れるモジュール(一般的なアナログ・ディジタル混載回路など)を扱うときは,ベタ・グラウンドにするのが解であると結論づけられます.
関連資料
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取扱説明書
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